「変わりたい」と思いながら、何をどうしたらいいかわからなかった。
自分の幸せが何なのかもわからなくて、ただモヤモヤしていた頃。
最初にやったのは、1枚の“やりたいことリスト”を書いてみることでした。
ふと見返した手帳のページに
「夢を紙に書いたら叶う」
そんな言葉を、どこかの本で読んだことがありました。
当時の私はそれを実践してみて、友人にも「やってみるといいよ」と勧めていたのですが、
その後はすっかり忘れていました。
思い出したきっかけは、先日同僚とした何気ない会話。
「あの願いを書くやつ、見返したら半分以上叶ってたの!」
それを聞いて、昔の手帳を見返してみました。

数年前によく使っていた赤いノート。
久しぶりに開いてみたら、“やりたいことリスト”が書かれていたページが出てきました。
何気なく読み返してみると、
気づけば、そのすべてが叶っていたんです。
でも書いていたのは、夢なんて呼べないような、小さなことばかり。
当時の私は、いろんなことに余裕がなくて、
「今のままじゃイヤ」って思いながら、どうしたらいいのか分からない毎日でした。
部屋はいつも散らかっていて、夜更かしもやめられない。
不安で気分は沈みがち。
食べすぎては自己嫌悪して、また落ち込む…の繰り返し。
SNSでキラキラした投稿を見るたびに、心がざわざわしていたし、
服を選ぶときも、“好きな服”じゃなくて、“入る服”の中から選んでいました。
本当は、もっと自分を好きになりたかった。
でもその方法も、どこから変えればいいのかも、まったくわかりませんでした。
変わりたいと思った、あのとき
そんなとき、ふと書いたのが「やりたいことリスト」。
“理想の生活”や“夢”なんて立派なものではなく、
ただ、今の自分から少しでも抜け出したかった。
そして、心の中に溜め込んでいたものを一度、外に出したかったのだと思います。
「毎朝もう少し早く起きたい」
「本を1冊、最後まで読んでみたい」
「白いTシャツが似合うようになりたい」
「心から笑える時間を増やしたい」
これらは、そのときの私にとっては、ものすごく遠くに思える目標ばかりでした。

積み重ねてきた、小さな選択たち
そして今、見返してみたら。
不思議なことに、その“ささやかな目標たち”は、叶っていただけではなくて、
いつのまにか、新たな大きい目標を持つまでになっていました。
誰かに宣言したわけでもないし、「達成しなきゃ!」と意識していたわけでもありません。
心のどこかで「本当はこうなりたい」って、思い続けていたのかもしれません。
そして、ほんの少しずつ、日常の選択が変わっていって。
その小さな変化の積み重ねが、私を変えてくれたんだと思います。
どうして変われたの?
「やりたいことリスト」が魔法みたいに効いた――
…と言いたいところですが、そんな都合のいい話ではありません。
かといって、夢から逆算して細かく計画を立てて…
なんてこともしていません。
ただ、書いたことで“自分の声”に気づけたのは確かです。
「こうありたい」と願っていた気持ちを、
目に見えるかたちで残しておけたこと。
それが、ブレそうになったときの“目印”になってくれたように思います。
そして、変われた一番の理由はきっと――
少しずつ”できたこと”が増えていくうちに、だんだんと自分を信じられるようになったから。
自己効力感って、急に上がるものじゃないけど、
「今日ちょっとがんばれたな」って思える日が重なって、
その小さな積み重ねが、やがて複利みたいに効いてくる。
気づけば、目の前のことだけじゃなくて、
見えてくる景色そのものが変わっていました。
※複利:最初はわずかでも、積み重ねるほどに「変化」が加速していくしくみ。
お金に対して使う言葉ですが、心にもゆっくり効いていくものだと思います。
最後に
書き出したリストは、いつの間にか引き出しの奥にしまわれて、私自身も忘れていました。
でもあのとき、たとえ小さなことでも「こうなりたい」と思って書いた一つひとつが、
ゆっくりと、でも着実に私を動かしてくれていたのだと思います。
あの頃は遠くに感じていたことも、今では自然とできるようになっていたり、
気づけば、新しい目標に向かって進んでいたりする自分がいます。
私はまた、心を整理するために、新たなリストを書きました。
今の自分が本当はどうなりたいのか、書いてみると少しずつ鮮明になっていきます。
誰にも見せなくていい、
正解も、順番も、完璧さもないリスト。
書いたからといって、すぐに変われるわけではないけれど、
「そうなりたい」と願う気持ちは、ちゃんと力になる。
それが今の私の、実感です。
また迷ったり、立ち止まったりすることがあっても――
自分が書き残す言葉たちは、これからも私の背中を押してくれる気がします。
